
2012年09月01日
1938年頃の看板
「(昭和)13.7.15 故郷ノ家」
よしだ松月堂は以前から
和菓子屋という感じではなく
アイスケーキ
や
アイスキャンデー
など
どちらかといえば
当時では珍しい
洋菓子の方を
主に製造販売していたことが
うかがえます
その志を受け継ぎ
現在も主に洋菓子を製造販売する
和洋菓子屋です
和菓子屋という感じではなく
アイスケーキ
や
アイスキャンデー
など
どちらかといえば
当時では珍しい
洋菓子の方を
主に製造販売していたことが
うかがえます
その志を受け継ぎ
現在も主に洋菓子を製造販売する
和洋菓子屋です
吉田丸につづく
2012年10月01日
2013年02月08日
2015年10月01日
よしだ松月堂 1976年頃
(写真は母と一歳上の姉)
1976年頃の
和洋菓子屋 よしだ松月堂の店舗写真
右下に
CAKE
と書いてある箱が並べてあるのが
陳列棚です
この当時
店内販売のお客さんは少なく
路地裏にあり
分かりにくい店だったので
1985年頃には
通りに店舗を構え
ショーケースを置き
きれいに陳列して販売していたそうです
しかし
なかなか売れず
通りの店舗は
半年くらいでやめたとのこと
祖母が店番をしていて
8歳くらいの自分も
たまに祖母と一緒に店に居たので
この事は
しっかり覚えています
通りに店を構えて
商品・菓子を並べるだけでは売れない
ということを思い知り
商売とは
甘いものではないということを
叩き込まれて育った少年時代
小さい頃から
「将来はお菓子屋さんになるとやろう?」
と
100回くらいは
いろんな人に言われていましたが
商売・菓子屋の大変さを
目の当たりにして
いろんな複雑な思いが交錯して
中学生の頃には
公務員か
社会の先生になりたい
と思うようになっていました
しかし
大人になり
いろいろなことを経験して
2008年に独立
パティスリーヨシダ 創業
職人経営者(オーナーシェフ)になり
菓子道を極めるため
日々の追求・研究に精進しようと
決意しました
よしだ松月堂 2000年頃につづく
パティスリーヨシダのホームページは
www.wazoyoshida.com
2015年11月01日
よしだ松月堂 2000年頃
最近たまに聞かれることで
実家の
和洋菓子屋 よしだ松月堂の
店舗は行ったことがなく
見たことがないということで
2000年頃の店内写真を公開します
(2007年に父親が廃業・引退して
現在は父親の倉庫兼車庫になっています)

(接客店内 兼包装場)

(厨房)
来店件数は
週に2~3件
その他
主に卸販売を合わせて
1年間の総売上高(年商)は600万円弱
両親と自分の
3人分の1年間の給料(3人分の年収)を合わせても
200万円に満たないくらいで
小さい頃から思っていたように
やはり波多津では厳しいな
このままでは終わってしまう
このままでは
よしだ松月堂に未来はない
自分の将来も
明るい未来はない
高校3年の夏に
東京の菓子専門学校に行きたい
と
何回お願いしても
資金がない
と言われ
かなりショックを受け
現実を知り
高校卒業後は
横浜の洋菓子店に修業に行き
2000年当時
横浜から帰ってきて半年くらいの
23歳でしたが
時間と体力はたっぷりあるけど
仕事がほとんどない
という状況でした
とにかく
このままではいけない
まずは
何とか人並みの給料を稼げるようにして
この長く続く低迷から脱却することが
自分の使命だ
と
意気込んでいましたが
2000年からの数年間は
今までの人生の中で一番つらい時期でもあり
二度と戻りたくない
というくらいに
仕事が順調というわけではなく
地道な修業期間となりました
しかし
当時のことを思い出せば
今は何でも乗り越えられるという
貴重な経験になっています

(1999年頃 店の前で甥と)
パティスリーヨシダのホームページは
www.wazoyoshida.com
実家の
和洋菓子屋 よしだ松月堂の
店舗は行ったことがなく
見たことがないということで
2000年頃の店内写真を公開します
(2007年に父親が廃業・引退して
現在は父親の倉庫兼車庫になっています)
(接客店内 兼包装場)
(厨房)
来店件数は
週に2~3件
その他
主に卸販売を合わせて
1年間の総売上高(年商)は600万円弱
両親と自分の
3人分の1年間の給料(3人分の年収)を合わせても
200万円に満たないくらいで
小さい頃から思っていたように
やはり波多津では厳しいな
このままでは終わってしまう
このままでは
よしだ松月堂に未来はない
自分の将来も
明るい未来はない
高校3年の夏に
東京の菓子専門学校に行きたい
と
何回お願いしても
資金がない
と言われ
かなりショックを受け
現実を知り
高校卒業後は
横浜の洋菓子店に修業に行き
2000年当時
横浜から帰ってきて半年くらいの
23歳でしたが
時間と体力はたっぷりあるけど
仕事がほとんどない
という状況でした
とにかく
このままではいけない
まずは
何とか人並みの給料を稼げるようにして
この長く続く低迷から脱却することが
自分の使命だ
と
意気込んでいましたが
2000年からの数年間は
今までの人生の中で一番つらい時期でもあり
二度と戻りたくない
というくらいに
仕事が順調というわけではなく
地道な修業期間となりました
しかし
当時のことを思い出せば
今は何でも乗り越えられるという
貴重な経験になっています
(1999年頃 店の前で甥と)
パティスリーヨシダのホームページは
www.wazoyoshida.com