2015年11月01日
よしだ松月堂 2000年頃
最近たまに聞かれることで
実家の
和洋菓子屋 よしだ松月堂の
店舗は行ったことがなく
見たことがないということで
2000年頃の店内写真を公開します
(2007年に父親が廃業・引退して
現在は父親の倉庫兼車庫になっています)
(接客店内 兼包装場)
(厨房)
来店件数は
週に2~3件
その他
主に卸販売を合わせて
1年間の総売上高(年商)は600万円弱
両親と自分の
3人分の1年間の給料(3人分の年収)を合わせても
200万円に満たないくらいで
小さい頃から思っていたように
やはり波多津では厳しいな
このままでは終わってしまう
このままでは
よしだ松月堂に未来はない
自分の将来も
明るい未来はない
高校3年の夏に
東京の菓子専門学校に行きたい
と
何回お願いしても
資金がない
と言われ
かなりショックを受け
現実を知り
高校卒業後は
横浜の洋菓子店に修業に行き
2000年当時
横浜から帰ってきて半年くらいの
23歳でしたが
時間と体力はたっぷりあるけど
仕事がほとんどない
という状況でした
とにかく
このままではいけない
まずは
何とか人並みの給料を稼げるようにして
この長く続く低迷から脱却することが
自分の使命だ
と
意気込んでいましたが
2000年からの数年間は
今までの人生の中で一番つらい時期でもあり
二度と戻りたくない
というくらいに
仕事が順調というわけではなく
地道な修業期間となりました
しかし
当時のことを思い出せば
今は何でも乗り越えられるという
貴重な経験になっています
(1999年頃 店の前で甥と)
パティスリーヨシダのホームページは
www.wazoyoshida.com
実家の
和洋菓子屋 よしだ松月堂の
店舗は行ったことがなく
見たことがないということで
2000年頃の店内写真を公開します
(2007年に父親が廃業・引退して
現在は父親の倉庫兼車庫になっています)
(接客店内 兼包装場)
(厨房)
来店件数は
週に2~3件
その他
主に卸販売を合わせて
1年間の総売上高(年商)は600万円弱
両親と自分の
3人分の1年間の給料(3人分の年収)を合わせても
200万円に満たないくらいで
小さい頃から思っていたように
やはり波多津では厳しいな
このままでは終わってしまう
このままでは
よしだ松月堂に未来はない
自分の将来も
明るい未来はない
高校3年の夏に
東京の菓子専門学校に行きたい
と
何回お願いしても
資金がない
と言われ
かなりショックを受け
現実を知り
高校卒業後は
横浜の洋菓子店に修業に行き
2000年当時
横浜から帰ってきて半年くらいの
23歳でしたが
時間と体力はたっぷりあるけど
仕事がほとんどない
という状況でした
とにかく
このままではいけない
まずは
何とか人並みの給料を稼げるようにして
この長く続く低迷から脱却することが
自分の使命だ
と
意気込んでいましたが
2000年からの数年間は
今までの人生の中で一番つらい時期でもあり
二度と戻りたくない
というくらいに
仕事が順調というわけではなく
地道な修業期間となりました
しかし
当時のことを思い出せば
今は何でも乗り越えられるという
貴重な経験になっています
(1999年頃 店の前で甥と)
パティスリーヨシダのホームページは
www.wazoyoshida.com
Posted by パティスリーヨシダ at 11:11
│よしだ松月堂の歴史