
2011年01月18日
ヨシダのこと 8

いろいろ思ったことを書きましたが
結局 何がしたいのかというと
一番は お客さんの顔が見たい
お客さんの笑顔が見たいだけです
現在も 1個120円の菓子を
毎日たくさんつくることが出来るのは
失礼なことですが
顔を知らない たくさんのお客さまに
道の駅や観光施設・結婚式場などで
買って頂いたり使って頂き
商売をさせて頂いています
メールやインターネットを通じて交流するのも
気軽に出来て とても便利だと思います
今もブログを気軽に書けて とても嬉しいです
しかし
自分は
対面してコミュニケーションをはかるのが好きで
菓子をつくってる最中は
挨拶程度であまり話すことはできないのですが
来店して頂くお客さまに
パワーをもらって とてもやる気が増します
あと少し 波多津で修業させてもらい
はやく街に出て
新鮮な菓子で
お客さまに喜んでもらい
満足してもらえるように
日々精進していきます
結局 何がしたいのかというと
一番は お客さんの顔が見たい
お客さんの笑顔が見たいだけです
現在も 1個120円の菓子を
毎日たくさんつくることが出来るのは
失礼なことですが
顔を知らない たくさんのお客さまに
道の駅や観光施設・結婚式場などで
買って頂いたり使って頂き
商売をさせて頂いています
メールやインターネットを通じて交流するのも
気軽に出来て とても便利だと思います
今もブログを気軽に書けて とても嬉しいです
しかし
自分は
対面してコミュニケーションをはかるのが好きで
菓子をつくってる最中は
挨拶程度であまり話すことはできないのですが
来店して頂くお客さまに
パワーをもらって とてもやる気が増します
あと少し 波多津で修業させてもらい
はやく街に出て
新鮮な菓子で
お客さまに喜んでもらい
満足してもらえるように
日々精進していきます
Posted by パティスリーヨシダ at
13:13
│パティスリーヨシダのこと
2011年01月18日
ヨシダのこと 7

少し話がそれましたが
波多津店に売場をつくってから
つくる前は
来客数が週に2、3人くらい来て頂いていて
現在は1日に1、2人くらいで
多い時はあと数名来て頂いています
道の駅や観光施設など人が多い場所に
売場スペースをつくって頂いているので
そこでの知名度・売上げともに
徐々に伸ばさせて頂いてるので嬉しい限りですが
全体の売上からすると
波多津店の売上は1割くらいですが
遠くからはじめて波多津に来て頂いたり
2回、3回、4回・・とリピートして頂いたり
波多津のお客さんから
「前よりすっきりして良くなった」
と言って頂くようになり
売場をつくった甲斐があったな
と思います
と同時に
波多津店で
生菓子のショーケース販売の計画は断念しました
やはりある程度の来客数が見込めないと
新鮮な菓子を提供出来ないし
「冷凍して ちょこちょこ出せば よかたい」
と言われますが
それでは大手の工場製品と何ら変わりなく
個人店の意義や強みが出せないと思います
波多津店に売場をつくってから
つくる前は
来客数が週に2、3人くらい来て頂いていて
現在は1日に1、2人くらいで
多い時はあと数名来て頂いています
道の駅や観光施設など人が多い場所に
売場スペースをつくって頂いているので
そこでの知名度・売上げともに
徐々に伸ばさせて頂いてるので嬉しい限りですが
全体の売上からすると
波多津店の売上は1割くらいですが
遠くからはじめて波多津に来て頂いたり
2回、3回、4回・・とリピートして頂いたり
波多津のお客さんから
「前よりすっきりして良くなった」
と言って頂くようになり
売場をつくった甲斐があったな
と思います
と同時に
波多津店で
生菓子のショーケース販売の計画は断念しました
やはりある程度の来客数が見込めないと
新鮮な菓子を提供出来ないし
「冷凍して ちょこちょこ出せば よかたい」
と言われますが
それでは大手の工場製品と何ら変わりなく
個人店の意義や強みが出せないと思います
Posted by パティスリーヨシダ at
12:12
│パティスリーヨシダのこと
2011年01月18日
ヨシダのこと 6

結婚を機に新居を
妻の実家から徒歩5分という場所に
新築の2LDKの一戸建てが
借家としてたまたま空いていたので
ここは良い
と思い即決して
走って不動産屋に行かんばかりに 駆け込みました
という事で
ここ数年
大坪(つつじヶ丘)から波多津に出勤しています
木須のバイパスが開通した時はとても嬉しかったです
とにかく波多津が近くなった
新しい道路が出来ると
伊万里がさらに明るくなりワクワクします
妻の実家から徒歩5分という場所に
新築の2LDKの一戸建てが
借家としてたまたま空いていたので
ここは良い
と思い即決して
走って不動産屋に行かんばかりに 駆け込みました
という事で
ここ数年
大坪(つつじヶ丘)から波多津に出勤しています
木須のバイパスが開通した時はとても嬉しかったです
とにかく波多津が近くなった
新しい道路が出来ると
伊万里がさらに明るくなりワクワクします
Posted by パティスリーヨシダ at
11:11
│パティスリーヨシダのこと
2011年01月18日
ヨシダのこと 5

現在のパティスリーヨシダは
2年前に約3坪の売場スペースを設置して
ほぼ焼き菓子の販売ですが
売場を設置する時
波多津のこの場所に
売場のスペースをつくることを話すと
友達に
「えっ 波多津に」
とか
「伊万里の街の中がよかろうもん」
「ここじゃ無理ばい 人のおらんたい」
という意見
やっぱり客観的に見ても
自分でも何となく分かってはいます
それでも
先祖の方々はこの地で商売を続けられていて
自分も
もっと波多津の名前を売りたい 知ってもらいたい
今は
ふれあい広場の牡蠣焼きや 波浦の塩 などで
波多津に来られる方も多くなったと思いますが
以前 伊万里の街で話していると
「波多津てどこにあっと?」
「波多津行った事なか 何かあると?」
「波多津て北波多?」
と
伊万里市民に言われ
絶対 波多津をもっと広めて
「あー波多津行った事あるばい 海の綺麗かもんね」
とか言われるように頑張ろう と
あと数年は波多津でやっていこうと思っていました
人がいない所で どうやって商売するか
いろいろ知恵をだして
経営者としての良い修業になるな と思い
まだ波多津にいます
2年前に約3坪の売場スペースを設置して
ほぼ焼き菓子の販売ですが
売場を設置する時
波多津のこの場所に
売場のスペースをつくることを話すと
友達に
「えっ 波多津に」
とか
「伊万里の街の中がよかろうもん」
「ここじゃ無理ばい 人のおらんたい」
という意見
やっぱり客観的に見ても
自分でも何となく分かってはいます
それでも
先祖の方々はこの地で商売を続けられていて
自分も
もっと波多津の名前を売りたい 知ってもらいたい
今は
ふれあい広場の牡蠣焼きや 波浦の塩 などで
波多津に来られる方も多くなったと思いますが
以前 伊万里の街で話していると
「波多津てどこにあっと?」
「波多津行った事なか 何かあると?」
「波多津て北波多?」
と
伊万里市民に言われ
絶対 波多津をもっと広めて
「あー波多津行った事あるばい 海の綺麗かもんね」
とか言われるように頑張ろう と
あと数年は波多津でやっていこうと思っていました
人がいない所で どうやって商売するか
いろいろ知恵をだして
経営者としての良い修業になるな と思い
まだ波多津にいます
Posted by パティスリーヨシダ at
10:01
│パティスリーヨシダのこと
2010年12月31日
ヨシダのこと 4

それで
まずどうやって名前を売って
販路を開拓するか考えました
とにかく 今の場所 波多津では街のほうで
全くお客さんが来てもらえない
という事ではなく
何日に一人とか 法事の注文が少しあったりとか
全く客足がゼロではありませんでしたが
店は 厨房のみで
売り場のスペースはありませんでした
という事で
お客さんが集まる道の駅や観光施設に
商品を置かせてもらおう
という計画と
結婚式の納入業者として入れてもらおう
という事を考え
幸運な事に
妻の元職場が伊万里の結婚式場という事もあり
スムーズに事が進み
当時の支配人に業者として入れて頂き
その方には とても感謝しています
そんな感じで徐々に名前を売っていき
よしだ松月堂として すこし勢いがついてきました
しかし
パンフレットなどを
ほとんど洋菓子のラインナップにしても
いまだに和菓子屋として認知され
和菓子をやめるわけではないのですが
今は洋菓子(主にフランス菓子)
に力を入れてやっていくつもりなので
今だっ
と思い
正式名称を
パティスリーヨシダ
にしました
パティスリーとは
菓子店という意味なので
ヨシダ菓子店
伊万里の菓子屋
パティスリーヨシダ
として
吉田家先祖の方々の思いを胸に
みなさんに喜んで頂く菓子づくりに
まっすぐ進んでいく決意がさらに固まり
今
とてもわくわくしています
まずどうやって名前を売って
販路を開拓するか考えました
とにかく 今の場所 波多津では街のほうで
全くお客さんが来てもらえない
という事ではなく
何日に一人とか 法事の注文が少しあったりとか
全く客足がゼロではありませんでしたが
店は 厨房のみで
売り場のスペースはありませんでした
という事で
お客さんが集まる道の駅や観光施設に
商品を置かせてもらおう
という計画と
結婚式の納入業者として入れてもらおう
という事を考え
幸運な事に
妻の元職場が伊万里の結婚式場という事もあり
スムーズに事が進み
当時の支配人に業者として入れて頂き
その方には とても感謝しています
そんな感じで徐々に名前を売っていき
よしだ松月堂として すこし勢いがついてきました
しかし
パンフレットなどを
ほとんど洋菓子のラインナップにしても
いまだに和菓子屋として認知され
和菓子をやめるわけではないのですが
今は洋菓子(主にフランス菓子)
に力を入れてやっていくつもりなので
今だっ
と思い
正式名称を
パティスリーヨシダ
にしました
パティスリーとは
菓子店という意味なので
ヨシダ菓子店
伊万里の菓子屋
パティスリーヨシダ
として
吉田家先祖の方々の思いを胸に
みなさんに喜んで頂く菓子づくりに
まっすぐ進んでいく決意がさらに固まり
今
とてもわくわくしています
Posted by パティスリーヨシダ at
15:15
│パティスリーヨシダのこと
2010年12月31日
ヨシダのこと 3

という事で
自分が経営する事になって
先程も書いたとおり
以前は 伊万里で
よしだ松月堂
と言っても
「あー城月堂ね」
と言われ
伊万里で
松月堂
と言ってもあまり知られていない現実を
くやしく思い
親父から
「自分で切り開いていくこと」
と言われていたので
これが自分の性格にあっていて
親父から
ああしろこうしろ という口も出さないが
もちろん金も出さない
全ては自分でやってくれ
という
ほぼ創業みたいな感じが
とてもやる気を起こさせました
結婚して妻にも
「今はこんな感じだけど ふたりで創業していこう」
と言い
ついてきてくれました
自分が経営する事になって
先程も書いたとおり
以前は 伊万里で
よしだ松月堂
と言っても
「あー城月堂ね」
と言われ
伊万里で
松月堂
と言ってもあまり知られていない現実を
くやしく思い
親父から
「自分で切り開いていくこと」
と言われていたので
これが自分の性格にあっていて
親父から
ああしろこうしろ という口も出さないが
もちろん金も出さない
全ては自分でやってくれ
という
ほぼ創業みたいな感じが
とてもやる気を起こさせました
結婚して妻にも
「今はこんな感じだけど ふたりで創業していこう」
と言い
ついてきてくれました
Posted by パティスリーヨシダ at
14:14
│パティスリーヨシダのこと
2010年12月31日
ヨシダのこと 2

ヨシダはパティスリーヨシダは代々
昔から菓子屋を生業として現在の波多津の場所で
商売をさせて頂いてるわけですが
親父が言うには
初代の吉田和造の時代以前から
菓子屋か何か商売をやっていて
初代の吉田和造が四代目と書いてある
箪笥を見つけました
とにかく
昔から商売人の家系である事は間違いありません
それで 私の役目は
初代の吉田和造が創業した
吉田菓子屋
よしだ松月堂 を
当時の勢いのある菓子屋にしたい
という思いが沸々と湧いてきました
よく波多津のお年寄りの方から
「吉田は昔はすごかったもんね」
「吉田は昔は名家やったもんね」
と異口同音に言われていました
私は へーそうなんだ と思いながら
今はとても 普通だよな と思いながら
親父がこれでよいと思って 真面目に働き
4人の子供を育て 自分の家も建てました
現在は引退してもらい
結婚を機に私に経営権を譲り
後は自分の力で切り開いて
という感じで受け継ぎました
昔から菓子屋を生業として現在の波多津の場所で
商売をさせて頂いてるわけですが
親父が言うには
初代の吉田和造の時代以前から
菓子屋か何か商売をやっていて
初代の吉田和造が四代目と書いてある
箪笥を見つけました
とにかく
昔から商売人の家系である事は間違いありません
それで 私の役目は
初代の吉田和造が創業した
吉田菓子屋
よしだ松月堂 を
当時の勢いのある菓子屋にしたい
という思いが沸々と湧いてきました
よく波多津のお年寄りの方から
「吉田は昔はすごかったもんね」
「吉田は昔は名家やったもんね」
と異口同音に言われていました
私は へーそうなんだ と思いながら
今はとても 普通だよな と思いながら
親父がこれでよいと思って 真面目に働き
4人の子供を育て 自分の家も建てました
現在は引退してもらい
結婚を機に私に経営権を譲り
後は自分の力で切り開いて
という感じで受け継ぎました
Posted by パティスリーヨシダ at
13:13
│パティスリーヨシダのこと
2010年12月31日
ヨシダのこと 1

ブログをはじめて 今日で1年になります
はじめたきっかけは
パティスリーヨシダ として
独立・創業して
和菓子屋というイメージから
洋菓子(主にフランス菓子)をつくっています
という事をアピールするため
和洋菓子屋 よしだ松月堂は
父の代で4代目
以前から 和菓子だけという店ではなく
初代の吉田和造の時代から
和洋菓子の製造販売・卸販売をやっていたそうです
父の時代も もちろん洋菓子もつくっていました
そういう事で
松月堂
という名前から和菓子屋と思われていた事に
違和感を感じていました
それで
自分が独立・創業して
洋菓子を主につくるようになり
よく 「洋菓子もつくりよっと」 と驚かれました
それと
松月堂
という屋号は 詳しく数えたわけではありませんが
全国に100軒以上はあると思います
近くは佐世保に 松月堂さん
鹿島には 全く同じ名前の 吉田松月堂さん
漢字は違いますが 相知・唐津の 昭月堂さん
他にも 城月堂さんや 梅月堂さん
などとよく間違われていました
これでは いけないと思い
まず
自分の友達ですら 波多津の店の場所を知らない
波多津の若い人たちにも
店の場所すら知られていない現実を打破しようと思い
結婚を機に
少年時代から考えていた
伊万里市街地への移転を
本格的に決めました
はじめたきっかけは
パティスリーヨシダ として
独立・創業して
和菓子屋というイメージから
洋菓子(主にフランス菓子)をつくっています
という事をアピールするため
和洋菓子屋 よしだ松月堂は
父の代で4代目
以前から 和菓子だけという店ではなく
初代の吉田和造の時代から
和洋菓子の製造販売・卸販売をやっていたそうです
父の時代も もちろん洋菓子もつくっていました
そういう事で
松月堂
という名前から和菓子屋と思われていた事に
違和感を感じていました
それで
自分が独立・創業して
洋菓子を主につくるようになり
よく 「洋菓子もつくりよっと」 と驚かれました
それと
松月堂
という屋号は 詳しく数えたわけではありませんが
全国に100軒以上はあると思います
近くは佐世保に 松月堂さん
鹿島には 全く同じ名前の 吉田松月堂さん
漢字は違いますが 相知・唐津の 昭月堂さん
他にも 城月堂さんや 梅月堂さん
などとよく間違われていました
これでは いけないと思い
まず
自分の友達ですら 波多津の店の場所を知らない
波多津の若い人たちにも
店の場所すら知られていない現実を打破しようと思い
結婚を機に
少年時代から考えていた
伊万里市街地への移転を
本格的に決めました
Posted by パティスリーヨシダ at
12:12
│パティスリーヨシダのこと